アーティストとの対話からの気付き(マネジメントの2つのアプローチ)

最近、若手アーティストの方々と集中して対話させて頂く機会が複数あり、非常に大きな気付きを得られたのでそれをご紹介したい。自分は主にビジネスの世界の住人なのでそれ以外の世界の人々と会話をすると多くの発見があると常に感じる。入社当初から出来る限り仕事とは別の世界に触れるようにしており(業務上多くの人と触れ合える点では恵まれていると思うが、それでも意識しないと世界が狭くなってしまうし、そもそも生業の価値は異なる専門性を架橋することであると思うので)、業務とは別に科学や工学の世界の人々と会話をする機会があるが、非常に多くのことを教えてもらえる。以前にご紹介したJOEM(有機エレクトロニクス材料研究会(JOEM) -トップページ (organic-electronics.or.jp)入社当初に参加させていただけたのは本当に幸運であった)の関係で明星大学の古川研究室を訪問した際(マクスウェルの悪魔、あるいは情報熱力学とセレンディピティ、そして通説・多数説 - 気づきのメモ (hatenablog.com))もそうであったし、研究会等ではいつも新たな発見がある。理学と工学では違いがあると思うが、科学の世界はベースに”Why?”が存在し、何方かというと“How?”の色彩が強いビジネスの世界とは異なる思考の仕方、アプローチを取るところが違いであり面白いところであろう。製造業のR&D機能にも、研究(R)と開発(D)の組合せや研究の位置づけ(予定調和で既存のHowやWhatを改良する色彩が強い「先々行開発」と技術や市場の不確実性に挑み新たな原理(Why)や材料(What)を発見する色彩が強い「不確実性へのチャレンジとしての研究」など)の仕方などがあるのでもちろん程度問題ではあるが。何方かというと数理物理系はHowのアプローチが多く生命科学系はWhatの要素も強くなる(典型例が「生命とは何か」(生命とは何か: 物理的にみた生細胞 (岩波文庫) | シュレーディンガー, Schr¨odinger,Erwin, 小天, 岡, 恭夫, 鎮目 |本 | 通販 | Amazon)であろう)ような気もするが、システムや複雑系になると定義が重要になるということであろうか?

それに対してアートの世界は”What”の色彩が強いと感じる。そもそもオリジナリティを追求する面が他の世界よりも強いのでそれはそうだろうというのもあるのだが、アプローチの仕方がとても参考になる。どの世界でもいきなりオリジナルなものを作れる人間は一部の超天才を除きほぼいないので模倣から入り、守破離を介して、止揚するのであり、程度問題かも知れないが、その時のアプローチの仕方や考え方が大きく異なると感じる。例えば、作品と鑑賞者との間の対話を重視し、そこでの化学反応による価値の創出が重要であるという基本的な考え方が存在することである。作品を鑑賞者が作者の意図とは異なる形で解釈し、その解釈のズレにより新たな価値が生まれることを期待する側面が強い。ビジネスの世界でもある製品が開発者の意図とは異なる使われ方をするということはあるが、一般的にはマーケットインのアプローチで商品企画を行うので意図的に解釈のズレを狙うことは少ないように思う(もちろんキャリア形成における計画的偶発性理論などもあるが)。アーティストの人々と話していて気付いたこととして、それが故に作品はそれを生んだ作者とは別人格という発想が強いということである。ビジネスの世界では「こうしたい」「こういう社会課題を解決するために自社は存在する」という意志や志が重視されるのとは異なるということに気付かされた。形式的には企業も社会の公器であり、上場すれば所有権は広く株主に開放されるが、実質的にその企業が成長するか否かは企業のリーダーや従業員の強い意志にかかっており、であるが故に最近ではパーパスが重視されているように感じる(会社に対するオーナーシップが強すぎることからくるサクセッションプランの難しさなどの問題は存在するが、客観と主観(意志)のバランスという点では後者の重要性が強いように感じる)。それに対してアートの世界では一度作品として世の中に生み出されて以降はあくまで作品は作者とは別人格であり、鑑賞者とのやり取りの中で自律的に成長していくという考えが強いようである。それを感じたのはアーティストの人々と話していて主語を自分(作者)ではなく、あくまで作品として語ることに気付いたときである。言ってみれば親子関係や子育てが参考になるということなのではないかと強く感じた。

先日米国で活躍されているソフトウェアエンジニアの方にお話しをお伺いした際に、プロジェクトマネジメントとプロダクトマネジメントの違いについて説明してもらった。ものづくりにはその国の文化など背景が反映されているという話しから始まり、日本は(弊社の様なSIerが典型だが)プロジェクトマネジメントの色彩が強く、米国はプロダクトマネジメントの要素が大きいというお話しを頂いた。すなわち、日本は半年とか1年とか特定期間に集中してシステムを作り、カットオーバーした後は次世代システムの更新のタイミングで数年後に当該システムや顧客との関係性が再度発生するが、米国の場合はソフトエアやシステムとの関係が継続し、常に改良改善が続いているということであり、子育てのようなものであるとのことであった。これは先程の作者と作品の関係とはまた異なるのであろうが、また面白い視点であると感じた次第である。