マクスウェルの悪魔、あるいは情報熱力学とセレンディピティ、そして通説・多数説

GW前に小生が所属している有機エレクトロニクス材料研究会、通称JOEMで「非平衡現象」をテーマとした研究会(249.pdf (organic-electronics.or.jp))があり、途中から参加した。同日パシフィコ横浜で開催されていたOPIE`22(OPIE'22 - 光とレーザーの最新技術・製品・情報が集結!)のIOWNのセミナーにも参加していたため途中からとなってしまったが、非常に面白い研究会であった。非平衡系は散逸構造に代表されるように秩序の形成とも関連し(平衡系でないのに秩序が生まれるところが)非常に面白い。大学1年の時にドイツ語の授業をサボって(女性の先生で、ものすごく厳しかったのだがドイツ語は会社に入ってシュツットガルトに常駐していた際にブンデスリーガを見に行きダフ屋との交渉でfünfzigをfünfzehnと間違えて彼らが何故怒っているのか分からなかったほどに忘れている)ノーベル賞受賞者セミナーでイリヤ・プリゴジンの講演を聞きに行きとても衝撃を受けたのを昨日のことのように思い出す。シュレディンガーの『生命とは何か』(生命とは何か: 物理的にみた生細胞 (岩波文庫) | シュレーディンガー, Schr¨odinger,Erwin, 小天, 岡, 恭夫, 鎮目 |本 | 通販 (amazon.co.jp))の生命とは負のエントロピーを食べるものだというのも、所謂散逸構造の話しであり一時期プリゴジンに大分嵌った。『混沌からの秩序』(混沌からの秩序 | I. プリゴジン, I. スタンジェール, 伏見 康治, 伏見 譲, 松枝 秀明 |本 | 通販 | Amazon)は難しかったが、『確実性の終焉』(確実性の終焉―時間と量子論、二つのパラドクスの解決 | イリヤ プリゴジン, Prigogine,Ilya, 誠也, 安孫子, 佳津宏, 谷口 |本 | 通販 - Amazon.co.jp)は読みやすかった(なんと絶版になっているらしい、本棚のどこかにあるはずなので大事にしようと思う)。

さて、同研究会の最後の古川先生の「水面で自律運動するイオンゲル:材料開発と多体系への拡張」についてのご講演のなかでマクスウェルの悪魔の話題があり、情報熱力学との関連で質問した。ちょっと前まではトポロジカル絶縁体に嵌まり、JOEMでも研究会(245.pdf (organic-electronics.or.jp))を開催したが、今は情報熱力学がマイブームである(Suri_Kagaku_Final_Version.pdf (u-tokyo.ac.jp))。今度共立出版から出る本(非平衡統計力学 | 沙川 貴大 |本 | 通販 | Amazon)を楽しみにしているところである。JOEMの研究会では自己駆動粒子や自己組織化などの発表があったのだが(此等前半のプレゼンは残念ながら聞けなかった)、古川先生の発表は水面で自己駆動するイオンゲルについての内容であった。そのなかで2つの部屋に分けその間にスリットをつけることで分子運動を模倣しマクスウェルの悪魔を実現するという構想を伺った。マクロな系でマクスウェルの悪魔が実現出来たら凄いと思うし、ミクロな系とは異なるマクロな系ならではの事象が発生するのか否かも興味深い。

その後、JOEM名誉会長の谷口先生にお声掛けを頂き、先日古川先生の研究室を訪問させていただいた。実際にイオンゲルが水面を動いているのを見たときには「生き物みたい!」と素直に感動した。原理は樟脳が水面を動くのと同じで、表面張力の違いにより駆動力が発生する。しかし、形状によっては力が均衡してしまい動かなくなってしまうような気もするが、それについても理論計算をされており、ポテンシャルの極小解ではなく鞍点であるため不安定であり、止まることはないそうである。研究室を立ち上げられてから実験を洗練化しつつ様々な成果を出されているが、その裏には数多くの試行錯誤があることを伺った(試料の作成などまさに職人の域であった)。そのようななかで、学生が思いもよらないことを試してみて新しい発見があった事例をいくつか紹介していただいた(論文発表前で理論的解明中とのことなので詳細は割愛する)。古川先生もゲルの性質を考えると常識的にやってはいけないということから当初から想定外においていたことをやった学生が新たな発見をしたとのことである(小生も学生時代にゾルゲル法でゲルは扱っていたので、常識的に考えたら普通それはやらないよなということであった)。所謂セレンディピティであるが気づいていない常識や固定観念を超えるのが如何に難しいかということに改めて気付かされるとともに若い人は常に正しいという誰かが言っていた(誰だったか忘れてしまった)言葉を思い出した。(純粋)数学は若者の学問であると一般的に言われるが東大薬学部の池谷先生に何故そうなのか質問したことがある(異なる知識や知見の新結合がイノベーションであるとするとつなぐものが多いほど新発見できるのではないかとずっと不思議に思っている、勿論純粋数学に対するコンプレックスだが(笑))。頂いた答えは、若い時は直感的にそのものを捉えられるが年を重ねるとそれを敷衍化して捉えるようになってしまうことが原因のひとつということであった(抽象化の学問である数学の背景にそういうことがあるのは面白いな~、と思う)。幾何学などはまさにそうなのだろう。自分もすっかり中年になったので戒めにしたいと危機感を持ったのが正直なところである。やはり(常識や固定観念を超えた)外挿にしか価値は無いということだと思う(最早人間は内挿ではAIには絶対に勝てないので当たり前だが)。その点で“兎に角やってみる”、実験の重要性を改めて強く感じた。古川先生の研究室で応物の2021年Science As Artを取られた「ミルククラウンの内部構造」(ミルククラウンの内部構造 (jst.go.jp))を拝見したが、此方も有名なミルククラウンの実験で、出来たミルククラウンは落ちてきた液滴のミルクと下にあるミルクとどちらの構成比が大きいのかという疑問から、兎に角やってみたとのことである。

そしてこの写真なんとiPhoneで撮影したそうである。昔と違って疑問に思ったことをちょっと試してみることは遥かに容易になった(のに、意外と手を動かしていないのだなと、自分だけかもしれないが)強く感じた。やはり自然科学は実験により自然が答えを返してくれるところ、また実験の(一見したところ)失敗が気づきを与えてくれるところが魅力であろう。まあ、自然科学系に限らず失敗はLearning Opportunityと言うのは真理であるし、以前に尊敬するベンチャーキャピタリストの方がおっしゃっていた「失敗できない理由はなんですか?」という言葉をふと思い出した。

ところで、小生、コロナ禍に入る前から法学をリカレントの一貫で勉強しているのだが、同じ文化系の学問でも経済学(経済学は海外では理系に分類されていると聞いたことがあるが)とは大きく異なると感じることが多い(経済学は必ずしも実験が出来ないということはあるが物理学に似ているのであまりそのように感じたことはない)。もともと今の専門性と距離がある理論的な領域を拡大したいというモチベーションで法学を選択したので、それ自体が面白いのだが、「通説、多数説」という考え方は自然科学系にはあまりない特徴だと感じる(自然科学でも理論は仮説でしか無いのである程度はそのような考え方はあるにしても、怒られるのを覚悟で書くと政治的というか陣取り合戦的で科学でないような気がしていた、後述するように今はそうではないが)。人間を相手にしている学問であり、その多くが答えがない問題であるということが背景にあると思うが、勉強していて面白いと思うのは、通説と言われているものは確かに合理的で理解しやすいフレームワークであり、「言われてみればそうなんだけどなかなか最初からは思いつかない」というところが数学の証明に似ていると感じる(形式科学と規範科学で似ているところがあるのだろう)。刑法総論の法的因果関係の「危険の現実化」などは典型例だと思う。因みに小生基本7科目の中では(もっとも刑事訴訟法はまだ勉強していないのだが)刑法が一番好きだが、理由は数学に似ているからだと思う。そんななか、直近の法学セミナーが『刑法の「通説」』の特集(法学セミナー2022年6月号|日本評論社 (nippyo.co.jp))なので早速買って読んでいるがめちゃくちゃ面白い(全く関係ないが6月号は数学セミナー数学セミナー 2022年6月号|日本評論社 (nippyo.co.jp))もガロア理論だったので買ってしまった)。そのなかで、新規性のある学説を打ち立てるためには一般的な見解が妥当でないと考えて論を立てる必要があり、その際に批判対象となるのは通説であり、通説を批判する説が多数出てきて通説が入れ替わることがある、という趣旨のことが書いてあった(一方で学説が乱立し収拾がつかなくなることもあるとの指摘もあったが)。まさに正反合、振り子理論だと思うが、結果的にそれで外挿が進むのだなと腹落ちした。そのための条件は新規性、オリジナリティの追求(某財団でお話しをする芸術家の卵の美大生の方は皆さん人と異なる自分だけのオリジナルを追求していて魂の純度が高いって羨ましいなと、「汚れちまつた悲しみに」なおじさんはいつも感じる(笑))なので、先日古川研究室で改めて感じた、気づかない常識の罠に嵌らないためにも(年齢的に頭の固いおじさんになってしまった純然たる事実を意識しつつ)襟を正したいと思う。