法哲学、批判的合理主義、フランケンシュタイン

すっかり日が短くなり夕方には虫の音も聞かれるようになった。昨日は20年前に亡くなった部長の誕生日であったことを先程ふと思い出した。当時はワークライフバランスなど面倒くさいことは言われなかったので、ずっと一緒でよく夜中から飲みに行き仕事や学問的な疑問に関して色々と議論し、教えてもらった。昔、『科学の終焉』(科学の終焉(おわり) (徳間文庫) | ジョン ホーガン, 康隆, 筒井, 薫, 竹内 |本 | 通販 | Amazon)という本が出たときには銀座で朝まで議論したことを思い出す。めちゃくちゃ楽しかった思い出である。

さて、この夏は7月末に参加した日本アスペンの研修の影響もあり古典を大分読み、その影響というわけではないが、哲学系や文学系の本もいくつか読んだ。なかでも面白かったものをいくつかご紹介したい。はじめに『法哲学法哲学の対話』(法哲学と法哲学の対話 | 安藤 馨, 大屋 雄裕 |本 | 通販 | Amazon)である。此方は有名な本なので読まれた方も多いかもしれないが、遅ればせながら先日読了した。アマゾンで購入したのは2019年なのだが、最初の章を読み終えた後暫く(と言うには長いが)積読に入りこの夏に再度読み始めた。再読しだすとあまりの面白さに他の本を読むのが全て止まった。法学教室に連載された特集が書籍化されたものであり、テーマごとの対論形式であるため読みやすい。とは言え小生にとっては内容が可也高度なので1テーマ読むのに2時間以上掛かった。個人的に面白かったのは、団体の実在性と方法論的個人主義に関してのもの、不能犯と未遂犯、ならびに新派刑法学に関してのもの、憲法最高法規性に関してもの、である。少しだけ内容について紹介すると(小生の理解が追いついておらず誤りがある可能性も大いにありますので悪しからず)、団体が擬制か実在か、所謂法人擬制説と法人実在説の争いについての議論から始まり、細胞の集塊であり(所謂テセウスの船)、時間的切片としての行為から構成される個人も団体であるという指摘を経て、団体のみが存在するという団体の実在性が主張され、集合論を用いて(自己が自己の成員であるような自己再帰的なノードも導入しつつ)理論武装される。具体的な事例として、相続が挙げられ、被相続人と相続人たちが同一である(被相続人が自分自身という団体から離脱して相続人が新たに自発的にその団体の成員となるという団体内部での成員の変動である)ことを指摘している。これを受けて、統一性の観点からその後対論が提示される。ということで大分観念的な議論が続くため(相続などの法的な例示もあるが)脳みそが腫れて読み進むのに時間がかかるのだが、要素還元論創発性、SoS(System of Systems)などは理学、工学とも通底する部分が多く非常に参考になった。

また、この本と後半少し並走するかたちでポパー反証可能性原理に代表される批判的合理主義についての本である『批判的合理主義の思想』(批判的合理主義の思想 (ポイエーシス叢書 44) | 蔭山 泰之 |本 | 通販 | Amazon)を読んだ。著者は日本IBMのSEの方であり、ものすごく博識ですごいの一言である。元々はウェブ上にあった『ポパーとクーン』(Yasuyuki Kageyama (keio.ac.jp))というページを見て著者のことを知り、早速アマゾンで購入したのだが(最後の1冊だったので危なかった)大当たりであった。実証主義と観念論の相克は個人的にずっと関心を持っているテーマであるが(コペンハーゲン解釈を最後まで受け入れず実在論にこだわったアインシュタインや結果的に破れていたベルの不等式等)、科学と形而上学を分かつ基準である反証主義や批判合理主義をきちんと調べたことがなかったのでものすごく勉強になった。帰納の原理、帰納的一般化は成り立たず理論から演繹的に論理を導出することの重要性を再認識するとともに(我々の業界が多用するなんとかのひとつ覚えのケーススタディーについては猛省すべきであろう、事例は分かりやすさの装置としては意味があるがそれのみをベースに背景にある理論を意識せずに論理展開する人間はアホである)、可謬性を前提に反証を新たな理論的な発展可能性のきっかけとすることの意義について改めて思いを強くした(内挿が正当化主義、外挿が批判主義とすると、やはり外挿にこそ価値があるということだと思う)。エンジニアリング的な観点からも示唆が多く、ソフトウェアにバグが見つかった(反証された)としてもそれを破棄するわけではなく「Windowsのように、はじめは欠陥だらけで見向きもされなかったプロダクトでも、捨てずに改良を重ねた結果、大成功した例もある」という指摘は、ものづくりについて考察する際にはやはり哲学に対する理解があった方が良いということだと強く感じた。

この夏は所謂文学系の作品も久しぶりにいくつか読んだ。中原中也は学生時代に大分嵌ったが久しぶりに詩集(中原中也詩集 (岩波文庫) | 中原 中也, 昇平, 大岡 |本 | 通販 | Amazon)を取り出して読むとともに中原中也に関する岩波新書中原中也――沈黙の音楽 (岩波新書) | 佐々木 幹郎 |本 | 通販 | Amazon)も読んだ。「汚れつちまつた悲しみに」はとても有名だが同じく有名な「サーカス」もやはりいいな~と感じた。「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」は国語の教科書の中でも「山のあなた」と並んで強烈に記憶に残っている。また、気分転換にNHKオンデマンドの100分de名著で見た「フランケンシュタイン」がものすごく面白く、『批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義』(批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書) | 廣野 由美子 |本 | 通販 | Amazon)と合わせ小説(フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫) | メアリー シェリー, Shelley,Mary, 章夫, 小林 |本 | 通販 | Amazon)も読んでみたが、あまりに面白く夢中になった。これを19才で書いたメアリー・シェリーはやはり天才だと痛感する。小生昔からバイロンが好きなこともあり、その友人である詩人シェリーの奥さんであるメアリー・シェリーは学生時代から知っていたが、あくまでシェリー夫人としての認識であった。『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテも天才だと思うのだが(『嵐が丘』には若い頃にとても嵌まり新潮文庫の旧訳、新訳、岩波文庫を読んだ)、ふたりとも10代後半から20代で書いているのは本当にすごいと思う。ランボーやレーモン・ラディゲ、それこそ16歳で長谷川泰子と同棲した中原中也なども皆早熟だが。メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』を執筆したきっかけは有名な「ディオダティ荘の怪奇談義」だが(高校時代にそれを映画にした『ゴシック』(Gothic)(映画 ゴシック (1986)について 映画データベース - allcinema)を観たことを強烈に覚えている)、バイロンシェリー夫妻は共に人間関係がぐちゃぐちゃなので狂気の中から生まれた作品なのだと思う。

夏休みの読書感想文のようになってしまった(笑)