美術と法学からの気づき

若手アーティストの方々とお話しする機会が多いにも関わらず、圧倒的にドメイン知識が不足していることを痛感し美術史についての本を色々読み漁っている。鉄板の高階秀爾の本はどれも面白く、村上隆の本(『芸術起業論』:芸術起業論 (幻冬舎文庫) | 村上 隆 |本 | 通販 | Amazon)も勉強なった。人工知能学会の企画セッション(2023年度人工知能学会全国大会 企画セッション「アートにおいても敗北しつつある人間〜人の美意識もAIにハックされるのか?〜」 - YouTube)も非常に興味深かった。美術史を少し勉強すると形態と色彩、保守と前衛の行き来の歴史であることがよく分かる。であるが故に今までの歴史やルールに対する深い理解が必須であり、その文脈に基づいて何を新しいものとして追加するかが重要であるという『芸術起業論』の指摘は頭の中を整理する上でとても参考になった。法学を勉強し始めた際に「通説」「多数説」という言葉は個人的にとても新鮮だった。自然科学の場合は、真理は人間に発見される前から自然界に存在しているという実在説的な発想が強いよう思うため(これはただ単に自分の勉強不足であったことにいくつかの書籍を読んで気づいたが)、人々がどう考えているか、コンセンサスなどに依拠することなく正しい答えが存在すると考えていたからである。芸術や技術、所謂「人の技」の意であるアートな世界ではコンセンサス、別の言葉で言うと説得が重要であるということであり、人工知能(Artificial intelligenceも接頭語にartがある)の評価関数と通じるという人工知能学会の企画セッションの内容も非常に刺激的だった。同セッションのなかの法学も説得の技でありアートであるという内容にもとても納得させられたとともに、自然法はどう考えれば良いのだろう?ということにも興味を持った。自然法小平邦彦が『怠け数学者の記』(怠け数学者の記 (岩波現代文庫) | 小平 邦彦 |本 | 通販 | Amazon)で書いている「数学的実在」という考えと通じると(自然法は言わば「法的実在」?)個人的に考えている。法学は社会科学の中では(法と経済学等の一部を除き)最も数式を用いない学問だと思うが、その思考方法は極めて純粋数学的であり(と勝手に感じており)、数学に近いのかもしれない。

高階秀爾の『絵の言葉』(絵の言葉 | 小松左京、高階秀爾 |本 | 通販 | Amazon)は小松左京との対談集であり読みやすいだけでなく極めて多くの気づきを与えてくれた(最初は対談集だからと気楽に読んでいたのだが途中で最初まで引き返し付箋紙片手に集中して読んだ)。その中に「真理というものはそれ自体認識されるものとして存在するという考え方が出てくるのは、西洋でも非常に近代のもので、主流はなんといっても説得ですね。」という記述があり目から鱗が落ちた。今思えば以前に読んだ『「蓋然性」の探求――古代の推論術から確率論の誕生まで』(「蓋然性」の探求――古代の推論術から確率論の誕生まで | ジェームズ・フランクリン, 南條郁子 | 数学 | Kindleストア | Amazon)にも、蓋然性には「事実的蓋然性」と「論理的蓋然性」があり、パスカルフェルマーのやり取りで確率という概念が出てくる以前から中世に「論理的蓋然性」が法学において発達していた(裁判における証拠の確からしさなど)という内容が書いてあったのに、それに気づけなかった自分の頭の悪さを痛感した次第である。

前述の人工知能学会には美術家の中ザワヒデキ氏による写真の登場と生成AIの登場の類似性についての講演もあり極めて気づきが多かった。曰く、写真の登場によりシャッター一発で写実的な画像が得られるようになり、絵画の写実性(所謂上手い絵を描く技術)の価値がなくなり、抽象芸術が登場したが、同様のことがプロンプト一発で画像が得られるようになると再度起こると予想されるという内容(それ以外にも様々な論点が提起されており、この人めちゃくちゃ頭いいなという印象を持った)が語られていた。コンサルティング業界もプロンプトで簡易に出来るようになる領域は淘汰されて行き、純粋化が進むと戦略コンサルの価値が高まるということなのだろうか?などと妄想している。AIの文脈では法学との接点が強いため(自分が大学で法学を勉強していることもあり)色々と読んでいるのだが、解釈のためには言語哲学が重要だという様々な文献(例えば、https://www.jstage.jst.go.jp/article/pjsai/JSAI2020/0/JSAI2020_3N1OS11a01/_pdf)に触発されウィトゲンシュタインにトライしているが、当然ことながら『論理哲学論考』は何を言っているかさっぱり理解出来ず(此れを第一次世界大戦塹壕の中で書いたというのは驚愕しかない)、入門書も難易度が高いので苦戦中である。大学時代に読んで全く意味が分からなかったキェルケゴールの『死に至る病死に至る病 (岩波文庫) | キェルケゴール, 信治, 斎藤 |本 | 通販 | Amazon)を思い出した。