(主に企業の)研究開発に関する一考察(2) ~リニアモデルの限界と日本の低迷の原因~

個人的に現在、企業の研究開発機能や研究所の位置づけに関して最も関心がある。特に研究の位置づけに関する『ある研究』と『あるべき研究』の関係についてである。前者に関しては、『中央研究所の時代の終焉』(中央研究所の時代の終焉 | ローゼンブルーム,リチャード・S., スペンサー,ウィリアム・J., Rosenbloom,Richard S., Spencer,William J., 吉雄, 西村 |本 | 通販 | Amazon)のころから様々な議論や紆余曲折があった。同書が出版されたのが90年代後半で多くの日本企業で平成バブル崩壊の影響により研究開発予算の削減が本格化し、研究開発マネジメントのあり方に関するある種のブームが到来した時期だったのでタイミングが重なっていたのだと思う(なお、本書の原書タイトルは“Engine of Innovation”なので意訳し過ぎという指摘はそのとおりだとは思うが、当時の時代背景的にはマーケティング上最適なタイトルだったのだと思うし、実際この手の本としては結構話題になったと記憶している)。

同書をはじめ当時の問題提起は、中央研究所は企業の経営に貢献していたが環境が変化したことによりその機能が終了しつつあるという内容であったと記憶している。その前提には、①リニアモデルが機能していたこと、②日本の製造業の研究開発の競争力が高かったこと、がある。①に関しては、DuPontのナイロンやIBMトランジスターなど基礎的な材料科学、物性物理が巨大市場を創出する成果を生んだことや日本の高度経済成長が1950年代の東レによるDuPontからのナイロン特許の購入などが契機になっていたことから前提として成り立っていたと推測される。一方で②に関しては様々な意見が存在するのが実態であろう。DRAMで世界トップを取った経験やその後の日米半導体摩擦、米国でのトヨタ車が労働者にボコボコにされるショッキングな映像などジャパンバッシングが盛んになされたことから日本の製造業は国際的に高い競争力を持っていたという意見がある。一方で、日米貿易摩擦の本当の原因はレーガノミクスの失敗を覆い隠すことであり、そのためのスケープゴートとして仕組まれたものであるとの意見も存在する。すなわち、日本の製造業の研究開発力が本当に強かったかは疑問であるという指摘である(勿論、TPSなど世界がベンチマークしたイノベーションは存在し強かった部分もあるが、言われているほど強くなかったのではないかという意見であろうが)。しかし、その後のコンパックショックなどに代表されるように所謂モジュール型アーキテクチャが中心の領域では日本の研究開発力は必ずしも強くなかったという指摘が90年代後半から2000年代に多く出てきたように思う。『モジュール化』(モジュール化―新しい産業アーキテクチャの本質 (経済産業研究所・経済政策レビュー) | 昌彦, 青木, 晴彦, 安藤 |本 | 通販 | Amazon)も当時大分読まれた良書であろう(個人的にはモジュール化することで分散的にイノベーションが駆動しひとつがコケても代替はいくらでもあるのでオプション価値を享受できるという趣旨の指摘は当時目からウロコだったと記憶している)。日本の製造業の研究開発の競争力は本当に高かったのか?(前提②)に関する命題は議論が分かれるためなかなかに判断が難しいが、嘗て、ジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われた日本の競争力が低下した理由のひとつがイノベーションの枯渇であること(すなわち、企業の中央研究所の成果が事業としてEXITされてこなくなったこと)は確かに事実であろうと思われる(元々そこまで強くなかったとしても、その時以上に日本の製造業の国際競争力が下がり、研究開発力を示す指標が下がったのは確かなので、少なくとも相関はありそうである)。何故か?キャッチアップモデルの終了と中央研究所ブームの揺り戻しが原因として挙げられるのではないか?高度経済成長は原理的にいつまでも続くはずはないので、どこかで終了するはずであるが、その後それに対応できなかったと言うのはよくある指摘である。すなわち、三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫、1950年代)、新三種の神器(カラーテレビ・クーラー・自動車、1960年代)に代表される耐久消費財が普及しそれらに対する需要が弱まるとともに都市への人口流入も弱まり供給面でも制約が出てくれば高度経済成長は必然的に終わるが、高度経済成長期に最適化された仕組み(戦時経済の仕組みが高度経済成長に上手く機能したということも事実であろう)のモーメンタムが余りにも大きく、年功序列・終身雇用、人材流動性の低さなどの制度が変えられなかったというものである(最近、本棚を整理していたら出てきた『経済システムの比較制度分析』(経済システムの比較制度分析 | 昌彦, 青木, 正寛, 奥野 |本 | 通販 | Amazon)を再読しているのだがやはり名著だと思う)。

そして、メインバンクとインサイダーによるコーポレートガバナンスに支えられた大企業中心の経済制度上の影響力を強くうけ様々な産業保護政策が打たれ、そしてそれが可決された結果特定業界が保護され、スキルの入替えの遅れや既存産業によるイノベーションの阻害により長期的な経済低迷とそれと相互作用するかたちでの企業のR&D現場の疲弊が進んだということがあるのではないか。一方で、平成バブルの時に特に顕著であったと感じるが、所謂「技術タダ乗り論」に対するコンプレックスもあり、科学技術政策の過度なリニアモデル信仰に支えられるかたちで中央研究所ブームが起こったが、その揺り戻しは大きく聖域であったR&Dのリストラ(これが本格化したのはもう少しあとになってからであるが)やそこまで行かなくても技術流出(韓国企業の技術顧問の問題等)、過度に予定調和な研究開発マネジメント、経営と研究開発のギャップ(経営からすると研究所は何をやっているか良く分からないがPhDを持っている人間(下手をすれば先輩)に口出ししづらい、研究所からすると研究をやったことがない人間に研究開発マネジメントは出来ないだろうから面従腹背など)が続いたということもあるのではないか。

といったところで、また、少し長くなってきたため一旦この辺までとし、リニアモデルとポストリニアモデルの問題点などについて(本来これについて整理するつもりだったのだが辿り着けず)、また自分の頭の整理のためのメモを時間を置いて整理しようと思う。