メモ代わりとしてのブログ開始の宣言と一回目(波動論再考)

この度、尊敬する外部の大先輩のブログ(タイム・コンサルタントの日誌から)に大いに影響を受け、自分もブログをメモ代わりに始めることにした。基本的に自分のメモのため(かつ更新圧力による強制的なアイデア出しのため)であるが、やはり自分の頭で考えられるようになるためにはインプットとアウトプットの双方が重要だとリカレントで新たな分野を学習するなかで再認識する場面が多々ありアウトプットをネット上に残す意味で始めた。

何について書くかつらつら考えたが(人の受売りではなく自分の意見をコンパクトに分かりやすく書くのは結構大変(汗)、だから勉強になる(笑))、ここのところの信じられないような出来事に触発され、大きな話しを書いてみた。

 

新型コロナウィルスによる世界的なパンデミックに突入してから早2年超が経過した。ロシアによるウクライナ侵攻とそれにより発生した第二次世界大戦後最悪と言われる悲惨な人道被害など、21世紀に生きる我々にとって従来であれば全くの想定外の事象が発生している(冷戦終了後むしろ世界各地で内戦やテロは多発しているので日本人の平和ボケではないかとお叱りを受けるかもしれないが、第三次世界大戦を現実的に恐怖することはキューバ危機を知らない小生が生まれて以降はなかったような気がする)。また、コロナ禍で問題が顕在化した日本のデジタル化の遅れに対する指摘や自身が実際に問題を認識する機会も増えた(押印のために出社する経験をした方も多いだろう)。デジタル化は更に加速することが確実であり、最近は量子コンピュータに関する記事を目にしない日はない。封建主義(≒権威主義)から民主主義へと数百年単位で発展(変化?)してきた流れを逆流する超長期の事象とムーアの法則に代表される数年単位での技術革新(量子コンピュータは非ノイマン型であり、量子計算という計算原理自体が異なるのでパラダイムシフトであるが)の超短期の事象が混在する嘗てあまり経験したことがない地点に立っているような気がする。

小生が今の会社に入社した頃(1990年代前半)、諸先輩方がコンドラチェフ循環など経済波動に関して議論している場面によく遭遇した(かつては弊社も今と違ってアカデミックな雰囲気が漂っていた)。当時は平成バブル崩壊の影響はあったもののジャパン・アズ・ナンバーワンの余韻も存在し、日本全体が活気に満ちていた(World Bank「World Development Indicators」によると名目GDPベースで世界に対して日本が占めるシェアは小生が入社した1990年代前半には18%程度あったが、95年以降低下し、2018年には5.7%となっているようである)。小生が配属されたのは情報通信関連の部署であった(正確にははじめに配属された室が嫌で情報通信関連の先輩に引っ張ってもらったのだが)為、ITバブルに向けて右肩上がりのタイミングであり、Windows95やインターネットの登場で極めてエキセントリックなワクワクする状況にあった(1996年米国通信法改正により米国で新興通信キャリアが多数登場し、ITバブル崩壊として最終的には弾けたが旺盛な投資に支えられネットワークとコンピュータの技術革新が加速度的に進んでおり、メインフレーマーに対するチャレンジャーであった弊社も活気に満ちていた、アンディー・グローブが大手町のオフィスに来た時の感動は今でも覚えている)。当時、金融機関の経営破綻が立て続けに起こり「複合不況」などに代表されるように日本経済の凋落や地下鉄サリン事件など「ぼんやりとした不安」が漂っていたことも社内で経済循環論が流行った理由だと思う。しかし、世界の超大国侵略戦争をここまで大規模に仕掛け核兵器の脅しにより第三次世界大戦を憂慮するようなことは流石になかった。冷戦終了により「歴史の終わり」がベストセラーになっていたので政治面では不安定要素がなくなったという意識(誤解)の方がむしろ強かったように思う。

その頃を振り返りつつ(早いもので社会人になって30年近くが経過した)今の状況を見渡すと、やはり人間は本質的にはあまり進歩しておらず、経済循環や波動論を再考することは「大局観」を再認識するために重要性が高いと改めて再認識させられる。人類の進化の過程での種々の革命(所謂、認知革命、農業革命、科学革命、産業革命)や封建主義から資本主義へのシフトなど数百年から数千年単位の波動は普段あまり意識しないが、民主主義から封建主義(≒権威主義)への逆流が起こりそうな現在、超長期の歴史観で考えることが重要と思われる。また、100年単位でのヘゲモニーの変化は世界史を勉強する際や「文明の生態史観」などでお馴染みであるが、今後ヘゲモニーを握ると言われている中国がここ数百年の成功事例(西側の価値観)と全く異なることから難題である。イノベーション(技術革新)を駆動力とするコンドラチェフ波動は最も有名な経済循環であるが、デジタル技術がELSIに代表されるように法や制度、市場メカニズム、倫理規範に与える影響が飛躍的に大きくなる中、他の波動との相互作用をより強く意識して考える必要があるように思う。一例をあげるとAIの波動論上の位置づけが直ぐに思い当たるであろう。1970年代のマイクロエレクトロニクス革命以来、半導体の進化(世代交代をベースとした機能飢餓とスケーリングのメカニズム)を通じ、コンピュータからネットワークへとつながっていった技術革新の波の延長線上にAIが位置づくのか?、そうではなくAIは他の波動と重なり合うことで他の波動の上に位置づくのか?すなわち、AIは単なる技術革新ではなく、自動化・自律化による取引コスト低減などデジタル化(≒疎結合化)による事業や業界の構成要素の組み換えなどの「産業構造変化」やソフトウェアでの処理範囲の拡大(一方で可読性が低い)などサービス化(≒as a service化によるRapid Deployとノウハウのブラックボックス化)による地理的なスケールアウト、経済植民地獲得などの「ヘゲモニーの変化」である、などの解釈も波動論をベースにすることで想起されよう。
何れにしてもあらゆる面で不確実な時代には外挿的な視点が最も重要だと思うが、それを得るためのヒントを波動論は与えてくれる思う。

f:id:sumimix:20220418134820p:plain