「日本人は不満に強く、不安に弱い」とはどのような意味を持っているかについての考察

「日本人は不満に強く、不安に弱い」とよく言われる。その裏返しとして「欧米人は不安に強く、不満に弱い」ということも言えるのであろう。不満が新たなニーズを生みイノベーションの源泉であるとすると(「機能飢餓」はその典型例であろう)、日本人の「不満に強い」という特性は弱みであるとも言える。尊敬する起業家の各務太郎さんは著書(Amazon - デザイン思考の先を行くもの | 各務 太郎 |本 | 通販 のなかで「不便に気付くことは才能である」という趣旨のことを書いておられるが、不便であるから不満に感じるのだとすればやはりイノベーションに対する気づきを得る(「0→1」)という点では、不便さに対する感度を意識的に常に高く保っておく必要があると言うことだと思う。日々の生活のなかで不便だと感じなくなったら、失敗しなくなったらチャレンジしていないことの証拠(裏返し)であるというのと同様に危険信号だと襟を正したい。

さて、前回、前々回と大局観やAIなどについて考えていること(もやもやっと悩んでいることも含め)をつらつら書いてみた。この文脈で「日本人の不満に強く、不安に弱い」という特性はどの様に解釈できるかについて改めて考えてみたい。コロナ禍で読書時間が増え今更ながらにマルクス経済学に嵌ったこともあり(小生恥ずかしながら、時代背景や単に自分が精神的に幼かったこともあり、高校、大学時代にはマルクスには全く興味がなく麻疹にはかからなかった)、長い話しから考えてみる。史的唯物論の教えるところによると生産関係を中心とする経済の仕組み(土台)が政治や法制度や人々の生活など社会(上部構造)を決めるとなっている。その典型例として産業革命により道具が機械に変わったことで熟練の価値が低下し(不熟練化)、資本主義(自己増殖する貨幣としての資本、労働指揮権としての資本)に移行したと一般的に言われている。この観点からAIの意味を考えてみると色々と妄想が膨らんで面白い。まず、AIの分かりやすいユースケースとして暗黙知形式知化することで熟練者の労働力不足や技術承継を解決するというものがあるが、これはまさに史的唯物論の延長線上であろう。一方で、AIに何をやらせるか(指示)についてはむしろ熟練(それを熟練と言うならば)の価値が上がるとも考えられる。そう思うようになったのはコロナ禍に入る前の週末の一時、上野を散歩していた際に芸大のキャンパスでふと見かけた人工知能美学芸術研究会(AI美芸研)という団体(人工知能美学芸術研究会(AI美芸研) (aibigeiken.com))の研究会にふらっと立ち寄って余りの面白さに衝撃を受けたことがきっかけである(聴講者の中に有名な「セーラ服おじさん」がいたのにもびっくりした、流石芸大と唸ってしまった)。参加したのは第26回AI美芸研 「S氏がもしAI作曲家に代作させていたとしたら・2」という内容の研究会であった。佐村河内守氏(S氏)が新垣隆氏(A氏)に交響曲ゴーストライターを依頼していた事件を取り上げ、A氏ではなくAIに代作させていたら話しは変わったのではないかという問題提起に始まり、音楽の制作は「記譜=作曲」と「解釈=演奏」に安定的に二分化されてきたが、同事件により「発案=指示」と「解釈=記譜」に二分され、ソースの側により優位性があると考えればAIに代作させるための「指示書」(S氏)の方に創造性が存在すると言えるのではないかという趣旨の内容であった。目から鱗が落ちた思いだった。AIの保険業界への適用事例でも従来の保険サービスとは別にAIを用いてリスク評価の部分に特化するプレイヤが登場してきているがAIによる価値連鎖のアンバンドルとよりソース側に価値があるという基本原則が正しいならばAIは人間の「熟練」の価値を再定義することにつながるのではないか。小生はAIの専門家でも科学哲学の専門家でもないので単なる妄想であるが、この背景にはAIがもつコネクショニズムとシンボリズムという2つのアプローチが存在することがあるのではないかと思う。通常人間が物事を考えるときにはシンボリズム的な考え方(論理)を使うことが多いと思うが、実際は脳の中の処理はコネクショニズムがベースであり、(第3世代の)AIがそれを模倣したことが大きいのではないであろうか(最近、読んだ本(Amazon - 心を知るための人工知能: 認知科学としての記号創発ロボティクス (越境する認知科学) | 忠大, 谷口 |本 | 通販)で身体性を持たせることでAIにとっての難問であったシンボルグランディング問題(記号設置問題)は解消されるということが書いてあり此方も目から鱗が落ちた)?やはりAIは目から鱗が落ちまくりな分野横断、世界観や歴史観を跨いで色々と考えるにはとても良いテーマなのだと思う。

では、何故そのようなことが起こるのか(AIにより「熟練」の価値が再度上がるのか)?これについては先述した各務さんが出演されている「日本のものづくりは生き残れるか」というディスカッション(【PR】HONDA New Age Driving | 日本のものづくりは生き残れるか (newspicks.com))がとても参考になる。「機能飢餓」がなくなり「機能的価値」が訴求しなくなるなか、「意味的価値」の重要性が増してきており、様々なものにコンテキストを与えることが重要となっているということが議論されている(それだけでなく、何故フィレンツエの街並みはあれほど美しいのかという話しから始まって車と茶室の共通点など非常に面白い内容が議論されているので一度ご覧になられることをお薦めする)。「AIの意味的価値との親和性の高さ」(あくまで私見としての仮説)と言うのはひとつのヒントなのではないかと思う。各務さんやAI美芸研の発起人代表であられる中ザワヒデキ氏(同氏の『西洋画人列伝』(Amazon.co.jp - 西洋画人列伝 | 中ザワ ヒデキ |本 | 通販)の古書をAmazonで購入して読んだが非常に面白かった、小生が中学の時から好きなエル・グレコマニエリスムを代表する画家として紹介されている)が建築家や美術家であるのは、その証左なのだろうと強く感じるからである。